「ケールと青汁」四方山話

ケールは、キャベツ、ブロッコリー、カリフラワー、メキャベツ、コールラビー、カイランなどと同じ植物種に属します。世界の野菜の生産量を種レベルで比較すると、この種類が第一位を占めます。

それにもかかわらず、わが国でこれらの野菜が普及してきたのは明治以降で昭和初期の生産量は現在の10数%に過ぎませんでした。

しかし、戦後の生産の伸びは著しく、今ではキャベツの収穫量は白菜を抜き、ブロッコリー、ケール、カイラン等も健康野菜として注目されて、この種の世界屈指の愛好民族になっています。

キャベツがわが国に初渡来したのは宝永年間(1704から1711)で、オランダ人が長崎に持ち込みました。そのことは大和本草(1709)に「おらんだな」として紹介されていて、それらは不結球性のケールとみなされています。

この「おらんだな」は食用にされず、花物として改良され、冬枯れ時の花壇に欠かせないハボタンになりました。

結球性のキャベツの初渡来は、それよりかなり後で、明治になってからです。食用のケールは、明治初年に改めて導入され緑葉甘藍、別名は羽衣甘藍の名で紹介されましたが、一般に普及するまでには至りませんでした。

そのケールが青汁用の代表野菜になったのは、倉敷中央病院名誉院長、遠藤仁朗医学博士との出会いでした。博士は、昭和24年ある園芸書でビタミン・ミネラルが豊富なケールを見つけられ、昭和29年いろいろなつてをたよって、やっとアメリカから入手されました。

そうまでしてケールを求め続けられたのは、昭和18年、戦局も苛烈でひどい食糧難の時をむかえていた頃の体験に起因します。やみ米など買えず、しょっちゅう安上がりにお腹を膨らませる方法を考えられていたそうです。

そしてある日、野菜の葉、野草の葉、樹木の葉の元気な姿に閃きがありました。

それから家族の方と、大根・サツマイモ・サトイモ・大豆・インゲン・ナンキン・ふき・ごぼう・なす等の野菜の葉から樫木の葉に至るまでありとあらゆる葉を工夫して食べられたそうです。

より効果を求め生で食べられることもされました。空腹しのぎであれ、食べにくさはどうしようもなく、ジュースにすることを思いつかれました。

こうして青汁が誕生します

まずご長男でためされ、病院、軍隊で実践されました。戦後は倉敷中央病院に戻られ、いち早く青汁飲用を実践され、学校給食にも波及しました。それから今日に至ります。

博士曰く、「青汁は野菜を摂る一方便です。青汁を飲んでいれば飲んでいない場合と比べ、確かに効果はあります。しかし、それはあくまでも完全食にするという前提のもとであって、青汁を飲んでいれば、どんなデタラメナ食生活をしていても安心というものではありません。」

野菜を十分に摂られ、体を労わってあげてください。

{参考文献:藤枝國光著「野菜の起源と分化」(九州大学出版刊)、遠藤仁朗著「青汁は効く」(主婦の友社刊)}